IceTalk Ep 17 Japanese transcript: Nathan Chen/Rafael Arutyunyan

On episode 17 of icenetwork's IceTalk, I chatted with Nathan Chen and Rafael Arutyunyan about lots of things, including the 2016-17 season and the 2017 U.S. Championships. Interpreter, translator, and figure skating fan @gorachael translated the interview into Japanese for fans in Japan to experience it! Below is the transcript.

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Part 1: Rafael Arutyunyan

アメリカでコーチをするようになったきっかけ

18歳の頃から教え始め、以来40年間ほどコーチをしていることになる。渡米は、ソルトレイクシティ五輪の前の年、2001年。当時世界的にも有名なリンクLake Arrowhead (カリフォルニア)に来るよう誘いを受けていた。ロシアの選手として五輪に参加し5位、その後旧ソビエト、ロシアでコーチを続けていた。順調にキャリアを積んでいたところ、フランクキャロル氏から「このままロシアにいてセレブなコーチになりたいのかい。それよりアメリカでコーチ業をやってみないか」と誘いを受けた。僕はフランクキャロル氏が6歳くらいの若い子を自分の生徒として受入れ教えているのをみて、ロシアとは違うな、と興味を惹かれていた。それで、アメリカでコーチをすることにした。実際気に入った。独立、自営でコーチをしたい、と思っていたからだ。それまでは、トップのコーチになることが自分の夢であると思っていたが、ミッシェルクワン、サーシャコーエン、エバンライサチェック等を教えるようになって、これが自分の本当にやりたかったことだと悟った。一介のコーチでいることが自分の夢だったのです。

ロシアとアメリカの訓練体制の違い

ロシアでは、綿密な計画の下、バレエ、体操と一緒にスケートをやらせるという教育的な体制が整っており、子供達は5歳から始める。音楽家やバレエダンサーと同様、フィギュアスケーターも工場のように生産される。

一方アメリカのスケート教育は、他の分野と同様、無規制の自由市場にあり、才能がある者が自分で生き残ろうとしなければならない。両親、スポンサー、コーチの、3人から4人体制で、やりたいように訓練をする。全く違う。どちらの体制がいいとは言えない。両方を合わせたものがいいと思う。

J:つまり、ロシアでは4、5歳の才能があると選ばれし人が、学び、訓練を受けられるように期待され、その体制がすでに整っている。それに対して、アメリカではやりたいと欲する人が自分で行う、ということですね。

その通り。だからミッシェエルクワンやライサチエックのように、アメリカの選手で生き残れたということは、極めて強い人間ということの証だ。ロシアでは正確なシステムが確立されていて、ステップを一段一段登ればよいようになっている。皆が協力し合い、テストや会議が頻繁に行われ、コーチの横のつながりも強い。そういう環境の中で私は育って来た。今でもアレクセイミーシンなどロシアのトップコーチともつながりがあり、助けも得ることができる。それが私の強みだ。

アメリカでのコーチ間のつながり、チームで行うフィギュアスケート

一方、アメリカではコーチ同士で意見交換をするような機会は少ない。ここではフィギュアスケートはチームとしての競技ではなく、個人の競技に過ぎない、というアプローチがとられているからだ。私はその考え方には同意できない。なぜなら、例えば今年私のコーチングが失敗すれば、来年世界選手権に行ける選手は2人になり、来年は1人になってしまうかもしれないし、その逆もあるからだ。個人競技にとどまらない。わかるかな。チームとしてのスポーツなんだ。

J:アメリカでも、チームとして行う傾向が出て来たのではないか。例えばマライヤベルが、振付師はローヒン、あなたをコーチとして、あなたのところに来たし、ネイサンがズエワを振付師、テクニシャンとして彼女のところに行き来したりしている。この流れは今後数年続くと思うか。

そういう話になるたびに私が繰り返して言うのは、責任を負う者をはっきりさせなければならない、ということだ。生徒とコーチの間で、どの選手をチームに迎えて、どの選手入れないでおくかも、きちんとした戦略に基づいて双方が話し合いで決めなければならない。責任を負う者がいないと常に混乱が生じる。アメリカではこの点、やりたい放題の状態になっていることがあり、よろしくない。この選手は何年ここにいるんだろう、と誰もわからなくなるからだ。ネイサンの件に関して言えば、彼が10歳のときからみている。最初2年間、ソルトレイクシティとカリフォルニアを車で行ったり来たりしていたが、12歳の時にネイサン彼本人が母親と、私の元に来ると告げてきた。通っていた頃は2週間カリフォルニアでレッスンを受け、3ヶ月後に戻って来る時には、教えたことを全て身につけていて、私を驚かせた。賢い子なのだ。最初から世界一になるというやる気を持った子だった。マリナズエワにつく前の段階においても、ネイサン自身がプログラム作りにおいて重要な役割を果たしていた。マイケルジャクソンは素晴らしいプログラムだった。彼のスケート技術はすでに十分に発達していたし、今後マリナやローリーの他たくさんの人が彼に協力し、もっと上手くなるだろう。以前は一言二言しか喋らない子だったのに、私とも積極的にコミュニケーションをとるようになった。その成長を見るのがとても嬉しい。

私は、ネイサンのように選手を幼い頃から、スケーティング、ジャンプ、スピン、コレオグラフィー、音楽の解釈、等全ての要素について教えたいと思う。だが残念ながらそういうケースは多くない。21、22歳の生徒に教えるのは、簡単なことではない。

J:アシュリーやアダムは、レアなケースなのか。

ははは、そうだ。二人は、私のところに来る前にある程度出来上がっていた。

J:それでも、あなたの元に来てから全く別のスケーターであるかのように変わりましたね。ところで、ネイサンは試合でもとても落ち着いていますよね。どのように生徒を指導していますか。

ネイサンは10歳の頃から戦士として育てられてきた。それが今顕われている。猛烈に練習をして自信を以って試合に臨み、出場する試合ほとんどに優勝してきた。落ち着きはその日頃の練習から来るのである。自信がないから、精神分析医に会いに行くのとかいうのとは違う。

J:ネイサンの練習中での集中度と安定さには驚かされます。

彼は何年も勤勉に練習を重ねて来ている。自分のところに来る生徒はみんなそうであって欲しい。みんなをパーフェクトにすることはできないが、強くなって欲しいと願っている。自分が付き合い易いコーチではないことは自分でも認識しているが。

ネイサンは月に、アシュリーはカンサスシティに、マライアはラスベガスに行く

J:あなたの生徒は今年の全米で皆素晴らしい成績を残しましたよね。どうやってそれを実現したのでしょうか。

試合前に私が自分に言った言葉を教えれば、あなたも分かってくれるでしょう。

ネイサン、君は月に行くのだ、アシュリー、君はカンサスシティに行くのだ、マライア、君はラスベガスに行くのだ、と。実際にそう言いました。ネイサンは、スペースシャトルに乗って火星や月に行く。アシュリーは、試合しにカンサスシティにいって、世界選手権のスポットを掴んでくる。マライヤは、結果は全くわからない、だから、ラスベガスに行く、と言いました。マライアの結果については、僕のおかげではない。彼女は僕のところに来る前から、すでに元のコーチが良い仕事をしていて、だから今年の結果は彼らの功績によるものだ。

J:今年の全米ではあなたは笑っていましたよね。

みんなに私は笑わないと思われている。たしかに昨年のジュニアグランプリファイナルの時は、ネイソンは膝やそこしこに怪我をしている状態で、出るなと言っても彼を止められなかった。とても笑える気分ではなかった。それでも優勝して、その時もなぜ笑わないのか、と聞かれた。同じ日、シニアのファイナルで結弦が滑って優勝した。私はそれをそばで観ていて、笑っていた。それを見た人がびっくりしていたけど、他の選手でもああいう演技をした時には笑うもんだよ、と答えた。そういうわけでカンサスシティでは私は笑った。

J:今年の全米の氷の状態は良くなかったと言われるが。

コーチたるもの、氷の状態に合わせてブレードを調整できるようでなくてはだめだ。練習リンクと本番リンクでは氷の質がとても違ったので、氷に合わせてみんなの靴を調整した。それで上手くいった。

マライヤベルについて

J:あなたが「ラスベガスに行く」と称した通り、マライヤベルは未知数の多い選手でしたね。フリーでは挽回していい結果を残しました。

5年前に初めてマライヤを見たときから彼女を気に入った。彼女が僕のところに来たのはシーズンが始まってからで、数ヶ月しか時間がなかった。だから、いくつか技術的な問題を直すにとどまった。彼女が「上手く行きそうだ」と言い、事実そうなった。次のシーズンに向けてもっと長期的な計画を立てて練習させたい。まだ発揮できていない潜在的な能力を持っている選手なので、来年以降そこを引き出して育てたい。

アシュリーの四大陸辞退について

アダムやアシュリーのような成熟した選手は自分の身体を私以上に分かっているので、自分は提案以上の助言はしない。アシュリーが四大陸をスキップして休みたい、回復の時間に充てたいといえば、無理強いにしない。もっと若くて、体力がある選手だったら行け、という。

アダムについて

アダムが怪我をしたのは、とてもやる気があり、諦めずに練習を頑張っていたからだ。順調に回復している。

若いスケーターの育成

残念ながら私が雇われてきたのは、競技生活の最後の段階の選手であることが多い。例えば、クワン、コーエン、バトルだ。浅田真央は当時14歳だったけれど、成長期の問題を抱えていた。自分が緊急時担当の請負人のように感じることもある。それは好ましくない。本当はスケーターを幼い頃から育てたい。それが実現できるかわからないけど、夢だ。

「幼い頃からスケートが上手になるよう育てられる体制を変えよう。」と全米スケート協会らと折につけて話をしている。今アメリカは、ロシアや日本に比べてその点は遅れている。ネイサンとヴィンスのような選手を推していくような体制だ。若いスケート選手を教育するためのもっとプロフェッショナルなシステムが必要だ。

四大陸、世界選手権について

ネイサンに関しては、誰とも戦える準備ができている。ロシアや日本の若手とも戦うことになるが、彼らはアメリカの選手よりも進んでいる。残念ながら我々が彼らより進んでいるものは今のところ何もない。何年もの練習がものをいう。それでも負けないような、無駄のない賢明な指導ができるようできる限りの努力をする。

(以上)


Part 2: Nathan Chen

Jackie:ようこそネイサン。今コロラドですよね。そちらではコーチやスケーターから祝福の嵐であると聞いています。全米から数日経ちましたが、どのような心境ですか。

Nathan:夢であった全米タイトルを、まだ17歳という早い年齢で獲得できて、とっても興奮しています。それについに世界選手権になれましたし。

J:「ついに」というのは、エキシビで怪我もせず、世界選手権にやっと行けるという意味ですね。(笑)日曜日とても会場は湧いていましたよね。

クワドサルコウの投入について

J:フリーでは5回クワドをクリーンに跳ぶことに成功しました。試合の中で5つのクワドを成功させたのは史上初の快挙です。5番目のクワドサルコウを跳ぶにあたって、どんなことを考えていたのですか。

N:サルコウは最初から予定していました。基本的には、もしプログラムが計画通りに進んで、他のジャンプがすべてうまく入っていれば、サルコウを跳ぶまでどのくらいエネルギーが残っているか把握できていました。ジャンプの転倒があれば、その後に演技を続けるのは体力的に大変消耗してしまうだろうから、何か起きた時には、クワドは4回にしておくのが賢明と考えていました。実際の試合では少しズレが生じ始めていたんです。ですが、トリプルアクセルを含めてジャンプはすべて入りました。それでサルコウを跳びにいったわけですが、その段階で、自分の身体の位置や状態、跳ぶのにどれくらい力が必要かを把握していました。あの時とても疲れていました。トゥジャンプであれば絶対大丈夫だと自信を持てるのですが、サルコウは必ずしも僕の得意とするジャンプではないのでチャレンジでした。ただ、練習ではずっと安定していたんです。

J:普通、得意でないジャンプは前半に跳ぶと思うのですが、君の場合は、一番安定していないジャンプを後半に跳んだんですね。(笑) 要は君の戦略はすべてが上手く行ったならばサルコウを跳ぶ、というものだったんですね。

N:そうです。もちろんサルコウは降りたかったですが、たとえそれができなくても、このプログラムの後半部分は十分難度が高いと思ってましたから。

クワドの安定性について

J:つまり、世界の終わりでもなんでもない、ということなんですね。実際は成功し、しかもとんでもないことです。現時点において、世界で一番高難度のプログラムを滑り切ったわけですから。ところで、君は練習での統計をとっていないかもしれないけれど、僕は試合以外にも公開練習を見ていました。1週間で君は40から50のクワドを試みていて、失敗したのはそのうち3回だけだった。

N:知らなかった。すごいですね。(笑)

J:ステップアウト、転倒、ダブルの1回ずつで、あとは完全にクリーンで、とんでもないよね。この安定性には自分でも驚いたりする?

N:シーズンこの時期だと驚かないんですが、シーズン始めでこんなに安定していたら、一体どうしちゃったんだ、って驚いたでしょう。シーズンを通じてだんだんとよくなってきたんです。今シーズンの計画の一部として、練習で跳ぶクワドの回数を制限することにしています。クワドを試みたならば、できるだけきちんと降りようと。例えば、6つジャンプをパンクして、最後だけ成功する、そういうのはやってはいけないと。クワド1つを跳ぶなら、必ず1回で成功させる。こうしたことをシーズン通じてやってきたわけですが、自分にはそれが上手くいきました。決めなければならない時に、必ず決められるのだ、と自信が持てたことで精神的に安定していたんです。それでもたくさん練習しましたし、練習での調子はよかったですね。

J:僕が最初に見た君の公開練習では、たしか15分の練習時間のうち、君は多分12回もクワドを跳んでいたね。呆れたよ。(笑)

メディアのフィーバーについて

J:落ち着きとか自分がやってきたことへの自信とかに関連して、今年の全米選手権を前にした大騒ぎについて聞きたい。君が優勝することを疑う人は誰一人としていなかった状況だったけど、このフィーバーについてはどう対処していたの。

N:毎年、優勝はできないにしても何かしら自分の名前を覚えてもらおう、という感じで試合に臨んでいたので、今年はいつもと違い嬉しかったです。もちろん周囲が期待しているからいい演技をしなくてはというプレッシャーもあることにはあったのですが、普段から自分でもいい演技をすることを目指して練習をしてきているのだし、試合を重ねるにつれて、自分で自分に期待していました。もしこれで上手くいかなかったら、自分にがっかりでしたでしょう。僕のスケートについてみんなが言ってくれることを聞いて、たくさんのエネルギー、やる気、自信が湧いてきて嬉しかったんです。それとNBCの特集で取り上げてもらったことで、ああ、今年の全米ってこういうものなのかと覚悟が強まったんです。

J:スケートボードに乗っていたやつですね。

N:はい。(笑)

コンポーネンツについて

J:クワド以外の話になりますが、「ジャンプが上手いからといってスケートが上手とは限らない」と言い切る人もいます。もちろん最近では、そのような神話を否定するような、難しいジャンプを跳んで、かつ、滑りも素晴らしい上位選手がいます。君もそうしたスケーターのうちの一人にきっとなれます。今シーズン君が新しい2種類のクワドジャンプをマスターし、試合で成功したという素晴らしい事実、その他に、演技構成の面でも本当に上達したと思う。このように目に見える成果を導いたものはなんであったのか、聞かせてください。

N:ありがとうございます。まず、コンポーネンツを強化しなければと自覚していました。昨シーズン僕のフリーのPCSはおさえられていたし、競争力を身につけるには、世界選手権の話だけではなく、国内の試合にあっても、自分がPCSを叩き出せるように助けてくれる人、細かいところ詰めてくれる人を探すことが必要だと考えていました。そうなると、マリナズエワ以上の人はいない、それで、彼女のところに行きました。ちょうど新しいプログラムができ、どう滑るか決めれなかったところだったのですが、彼女と一緒にいてすぐに上手くいきました。それでもう少し彼女の元にいると決め、コンポーネンツ部分に磨きをかけ、プログラムを仕上げ、あらゆる問題点を解決しようとしました。そうすることによって、彼女の側を離れた後も、彼女ならどんなことを言うか、何を求めるかを想像して、自分なりに調整できるようにしたのです。まだまだやらなければならないことはあり、意識して強化を続けていきますが、マリナの元にいた時間は確実にコンポーネンツの改善に役立ちました。

J:今シーズン最初の試合、フィランディアトロフィー杯を見に行きました。君は両プログラムとも全身黒のコスチューム?を着ていましたよね。

N:ここではっきり言っておきたいのですが、あれはコスチュームじゃないですよぉ。(笑)

J:あの試合でもコレオ、スケートとも上手になったと感じたんですが、その1ヶ月後に行われたフランス杯では、課題もすべて修正され、プログラムは見違えるようによくなりました。特にSPを観て、フィン杯からたった1ヶ月、一体何が起きたんだろうと驚きました。マリナといた時間の成果が現れた、ということでしょうか。

N:たしかにそうです。技術面のことを言うと、あの時期において本来あるべき内容ではなくて、フリーではそれが現れてしまいました。コンポーツ面では、カントンでの成果が出て来ました。カントンのリンクにはアイスダンスのバックグラウンドを持っている人が多く彼らはエッジや身体の使い方をよく知っているので、それら見て学びました。そうしたことが合わさって、フランス杯で表現面での改善が見られたのだと思います。

昨年の全米選手権後のリハビリ生活について

J:昨年の全米では素晴らしいフリーを演じ3位入賞、世界選手権への派遣が発表されたのもつかの間、エキシビションで怪我を負い、すぐ手術、その後4、5ヶ月間のリハビリ生活。どのように過ごしたのか教えてください。

N:何が良かったか、悪かったか、とシーズンをふり返る時間になりました。正直、他の選手が世界選手権に出て戦っているのを見るのはきつかったのですが、それでも世界選手権を観戦した後は、必ずあそこに戻ってくるぞ、と意欲が湧いてきました。コロラドのトレーニングセンターでは色々な五輪アスリートに会い、彼らがどんな生活をしているのか、人としてどのように振る舞っているのかなどを観察する機会があって、そんなことで僕はささやかな幸福感に包まれていました。リラックスして、学校の課題をし、あまりスケートのことばかりを考えないよう気晴らしもしていました。シーズン通じ、ところどころ小さな怪我やストレスもあり、昨シーズンはあまりよくなかったし、ここで治しておくのもいいかなと思えました。

J:そうですね。あとで爆発してしまうよりかは。

N:そうなんです。もちろん、あの怪我は起きて欲しくはなかったけれど、来年起きたら、悲惨なことになっていたので、それと比べたら、今年は良いタイミングではなかったかと思います。

J:人によっては自分の出ていない世界選手権をああいう場で観戦するのは辛いらしいけど、ボストンワールドではチームメイトに声援を送る君の姿を何度か見かけたよ。試合を見たことでまた君の闘志に火がついたんだろうね。実際に氷上練習を始めたのはいつなの。

N:5月の終わり、6月の初め頃です。ジャンプの練習を開始したのはその1ヶ月後で、それまで6月中のほとんどは、ストローキングなどの基本的な練習をしていました。それ以降も、今日は10分、2日後には15分、その2日後には20分、25分、30分という具合でだんだんと伸ばしていきましたが、長い時間氷上練習はさせてはもらえず、ストレッチやコンディショニングをして過ごしましたが、それらは氷上に戻って最高の状態に戻るのに役立ちました。

J:ええ!10分しか滑れないって、それはさぞかし拷問みたいに辛かったろうね。

N:そうなんですよ!一番それが辛かったことです。あれやってはダメだよ、これやってはダメだよ、と言われて(笑)「うー!やりたいよう!」って。滑れるようになってから本当に嬉しかったです。

3つの練習拠点について

J:シーズンが始まって、君はミシガンに行ったり、ラファのいるカリフォルニアに戻ったり、さらに、コロラドのオリンピックトレーニングセンターに行ったりしている。このように環境を変えることの理由は?

N:長い期間同じ環境にいると、他で得られるものを得られないというのが理由です。マリナ、ラファのいる場所にはそれぞれそこでしか得れないものもあるからです。コロラドのトレーナーが自分の練習拠点に来てくれることもあるのですが、超音波システムなど、コロラドでしか利用できない施設もあるからです。ただ、例えば長くマリナのところにいれば技術面で、ラファのところにいれば芸術面で不足と感じる部分も出てくるので、どのように二つの環境のバランスをとるとか、試合が近づくにつれ、どのタイミングで動くのとか難しいこともありますね。

J:オリンピックトレーニングセンターの評判はよく耳にしますが、どんな人に会いましたか。

N:同時期に手術をしたテイラーや、ジェイソンやマックスに会うこともありました。他のスケーターに会えることも良いのですが、それよりもすごいのは、マイケルフィリップスのようなアイドルに会えることですね。

パトリックチャンとの練習について

J:ミシガンではパトリックチャンと一緒ですが、何か彼から学ぶことはありましたか。

N:パトリックは、僕がこれまで一緒に滑ってきたスケーターの中で最高にスケートの上手な選手のうちの一人です。彼のエッジ使い、コレオ、何もしないでただ滑るところを見ても、彼はいつでも自分を表現できているんです。パトリックのそうしたものを僕の演技にも少しは取り入れたかったのですが、すぐにパトリックチャンにはなれませんね。(笑)それから、パトリックチャンという人は人間的にとても優しくて、常にポジティブで、助けてくれます。「この時間をどう使う」とか「プログラムのどの部分でどんなことを感じながら滑るのか」といったことを些細なやりとりの中で学びましたし、お互いからそれぞれ吸収してました。彼と練習できるなんて本当に素敵なことなんですよ。

コーチについて

N:四大陸まではラファの元にいます。世界選手権までには、少しの期間でもカントンにいきたいのですが、タイミングを含めて一番いい時期を計画している最中です。コロラドについても同様です。

チームラファ、練習環境について

J:今年の全米はシングルのメダリスト6人のうち3人がチームラファからで、それに加えてアダム・リッポンもいますね。一体どんな練習環境なんですか。

N:練習環境はとてもよく組み立てられていて、かといって制約が多いというわけではなく、自分がこれまで滑ってことのあるどのリンクよりも、練習に集中できるようになっています。

アシュリーは、みんなをやる気にさせる選手で、本当に一生懸命に練習をします。ぶれないし、彼女ほどメンタルが強い選手に今まで会ったことはありません。試合でもいつも集中できているし、決めるときには決め、ほとんどすべての試合でしっかり結果を残していますよね。

アダムとアシュリーはとても仲が良く、いつもポジティブです。二人を見るのは楽しいです。アダムも本当に練習熱心です。こういうリンクメイトと一緒に練習をできるのは幸せです。

マライアはまだチームに来てから日も浅いので僕もあまり話したことはありません。ラファのやり方にまだ完全には慣れておらず、学びの最中かと思いますが、ラファから受けた技術的な助言をどう彼女が消化し、スケートに反映させていくのか、興味があります。

最後にクワドの習得について

J:何年もかかってクワドを習得する人と、君みたいに2年間で4種類も習得できてしまう人との差はなんだと思う。

N:ラファに習う前のすべてのコーチによって正しい技術を一定の期間で習得することができたこと。それとラファは僕が10歳の頃からクワドを教えることを頭に入れていて、彼が教えてくれるすべてのアイデアがクワド習得に向けられていたこと。彼は天才です。例えば、どうやってトリプルジャンプをクワドジャンプに転換できるか、正確な知識を有しています。一緒にいた時間が長いので、僕の体をどう扱い、どこにポジショニングしてジャンプを発生させるか、お互いよくわかっているんです。表面的には僕がクワドジャンプを練習し始めて跳べるようになるまでに費やした時間は短いように見え、実際にそうだったんだけれど、クワドジャンプをやろうと始めるまでに僕とラファが費やした時間と努力は、5、6年の期間に亘りました。クワド習得には長い時間がかかりますが、どのようなアプローチをとるかによって変わってくると思います。

J:男子フィギュアはクワド全盛期。それでもクワドに挑むことをむこうみずであると誤って捉える人もいる。クワドだらけだ、怪我が多い、などとね。ただ、僕が話をした人によると、実際のクワドというよりもクワドの技術が問題だと。80年代90年代では、とにかく身体を投げ出すようにクワドに挑むという感じでしたが、今は、君の言ったようにラファみたいな人とシステムが存在して、訓練の仕方次第でリスクも小さくできる、とのこと。クワド技術を、フィギュアスポーツの発展の観点からどう見ていますか。

N:この5年間でスケート技術は向上しました。ラファのようなたくさんのコーチがシステムを開発して、跳ぶために身体に発生なければならない力を減らし、少ない努力でクワドを跳べるようにはなってきていますし、また怪我も少なくなっています。とはいっても、3回転、4回転と回転数が増えるにしたがって怪我も増えるという関係はあるだろうし、怪我を避けるのは容易なことではありません。ですがジャンプの種類ごとに、どのような小さな筋肉が使われるのか把握し、その小さな筋肉を鍛え、練習で跳ぶクワドの回数を制限し、クワドを跳ぶ前にそのテクニックが本当に必要なのかを注意することで、クワドジャンプにおける怪我は少なくすることができると思います。

J:ラファのシステムについて、君はいつかクワドについてエンサイクロペディアに執筆すべきですね。(笑)

四大陸について

J:結弦、パトリック、昌磨、ボーヤンなど世界選手権レベルの錚々たるメンバーが出場するけど、この大会で何を目指すのか教えてください。

N:正直、僕にとって四大陸大会はオリンピックの予行演習で、トレーニング、スケジューリングをどう調整するかだとか、飛行機で寝れるか、寝れない場合にタイムゾーンをどう変えるかなどを確認したいです。すべてが計画通りにいって五輪代表に選ばれたらどんなことをするのかあらかじめに知る機会です。おっしゃる通り、強豪揃いですが、世界選手権の方が大事なわけですし、この大会では韓国のことを把握し、その後世界選手権に向けて準備します。

J:アメリカとは昼夜逆転ですが、寝ないで応援しますよ。頑張ってください。

N:今回もお招きいだたきありがとうございました。